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今宮戎へ行ったアルヨ

今春、鹿小学校へ入学する、しかおです。
今は鹿幼稚園の年長です。


↑鹿幼稚園を3月で卒業し、
今春から難関だった鹿小学校へ入学する事になりました。
そこは将来を担って立つ鹿達を養成するエリート養成学校です。
入学前の課題でブログを執筆する事になりました。



さて、でんでんとかのんが今宮戎へ行ったそうだ。
二人が行った日は宵戎でした。

十日戎とは

江戸期の大阪は商業の町として繁栄を遂げていたそうです。
その頃、今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として、
篤く崇敬されるようになりました。
十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせたそうです。
明治時代、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、
蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、
十日戎はより一層盛んになりました。
今では年の最初のお祭りとして十日戎の三日間に、
約百万人を超える参詣者がこられるそうですよ。

すごいね~。
本番は十日戎なんだよ。

↑一番の最寄駅は南海今宮戎駅です。
ちょっと遠いけど、大国町、難波、新今宮からも歩いてこれます。


↑今宮戎へ続く道です。
人大杉


↑やっと鳥居の前まで着ました。
ここまで来るのにも一苦労だったそうです。
更にここから入場制限しています


↑更に境内もこの騒ぎである。
人が多すぎて、進む事もままならない状況だったそうです。
人の整理をする、湾岸署のおまわりさんも大変そうだ

守護霊ねこさん注「今宮だから湾岸署の管轄じゃないにゃ」


↑古笹納所もすぐにいっぱいになりますので、


↑このようにえべっさんのはっぴをきた警備員さんが
  換えの箱を運んできてくれます


↑本殿に近づいてお祈りをしようにも、人が多すぎて近づけません。
なので、皆遠くからお金を投げてる人が多くみられます。
(お賽銭を離れた場所から投げると人に当たったり、非常に危険ですので、
遠くから投げないで下さい)


なので、お参りどころではなかったそうだ。
でも、かのんは果敢にも特攻して本殿の前に行きお祈りをしたそうだ。えらいね~。
ゆっくり心を込めて落ち着いてお祈りをするというより、
お賽銭を入れるだけで精一杯だったそうだ。
お賽銭にたどり着くまでに、おしくらまんじゅうをしにいったみたいだったと
汗をかき、髪の毛がくちゃくちゃになりながら、でんでんのもとに帰ってきた
かのん乙

守護霊ねこさん注「神様 でんでんかのんに福を捧げてあげてくださいにゃ」

今宮戎神社は、
天照皇大神・事代主命・外三神を奉斎しています。
創建は推古天皇の時代に聖徳太子が四天王寺を建立されたとき、
同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。

また、今宮戎のある場所が平安時代には海岸線沿いだったこともあり、
海辺で物資の集まりやすい場所だった事もあり、交易も盛んになり、
いつしか商売の神様として、信奉されるようになったそうです。


↑笹は無料でいただけます。
これに交通安全と戎くじの札は無償でついてきます。



↑こんなきれいなお姉さんたちが、お出迎え。
福娘です。

 
↑皆さん笑顔が素敵ですね
福娘の肩書きは、就職やお見合いに有利といわれています。


↑子宝をつけて自分だけのオリジナルの笹を作ろう。
子宝の値段は、一つ 千五百円~二千円と高額です。
付けすぎるとお金がたくさんかかりますよ
予算に限りのあるでんでんとかのんは、熊手に子宝をつけたそうですよ。


↑お帰り口も大混雑です。
とにかく人だらけでとても疲れたそうです。
お参りに来た皆さん 商売繁盛のご利益がありますように

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昨年はいろいろあった上に本業が忙しくなってきたので
なにわの伝統野菜の漬物教室が思うようにできなかったけど
今年はもっとできるといいなって、でんでんかのんが申しておりました。

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