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おいなーれ柏原へ行ったアルヨ~歴史遺産篇~

柏原市@大県支部のおねだり猫のトラミです

今回は柏原市の歴史遺産を紹介するよ。

さて、前回の続きです。

天冠山観音寺

太平寺の山道をどんどん登っていくと

 
天冠山観音寺があります。
智識寺の法灯を継ぐと伝えられており、
知識時にあった、「経机」が所蔵されていますよ。
智識寺は1086年(応徳3年)の落雷のため倒壊、
以後再建されていません。
なので、ここに残っている、経机は知識寺の唯一の遺品だとも言われています。


境内へ行くには、さらにこの石階段を登っていきます。


本堂です。
観音寺は、知識寺の境内にあったといわれています。
高台にあるのでここからの眺めは最高だそうです。



大和川付け替え記念碑

度々洪水が起こっては、流域の人が洪水の被害に遭いましたので、
大和川の流れを付け替えたのです。
それが学校の教科書にも出てくる、大和川の付け替えです。
ここにあるのは付け替えの記念碑です。

当ブログで紹介済みです。
以前の記事は下記リンクをクリックしてくださいにゃ。

大和川つけかえ記念公園に行ったよ



瀬川酒蔵

柏原市で、戦前まで実際にお酒造りをしていたという酒蔵です。
なんと180年の歴史ある建物らしいですよ。


酒蔵です。ちなみに当時のままらしいですが、
お酒造りをやめてからは、倉庫として使われているようです。



当時使われていた台帳などです。


瀬川酒蔵店という暖簾も残っています。
ここに今でも住まれている方にお話を聞くと、
昔の家に住むのは地震が怖いなどとおっしゃっていました。
石の上に大きな柱が直接建っているので、
横揺れは大丈夫だけど、縦ゆれがね~などとおっしゃられていたそうです。
でも、震災も乗り越え180年という歴史ある家で、
昔の家って丈夫に作られているので、昔から残っているんですね。



三田家住宅


1969年に主屋・土蔵の2棟と塀1棟が国の重要文化財に指定されました。

当時の代官であった、
末吉孫左衛門とい人が、
了意川(現在の平野川)に荷を運ぶ船を通して、
大坂と柏原の物資輸送計画を立て、
1636年(寛永13年)にスタートさせたのが、柏原船です。

 この初代七左衛門は三田浄久という名で知られた学者・文人で、
『河内鑑名所記』の著者でもあります。
井原西鶴や貞門第1人者の安原貞室などの、
当時の知識人とも交流があったそうです。

寺田家住宅

寺田家住宅。
元庄屋さんの住宅で、北条屋の屋号で柏原船を営業していたそうです。
明治23年に明治天皇が大阪、奈良に来られた際に、
皇后一行が本陣とした建物でもあるよ。
国の登録文化財です。

柏原船船たまり跡



柏原の舟だまりです。
かつてはここを拠点として、船で大阪まで荷物を運んでいたんですね。
鉄道の普及が進む、明治40年まで活動していたんだって。
すごいね~。



鐸比古鐸比賣神社

鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)です。
大阪府柏原市大県にあることから、大県神社という愛称で親しまれています。
トラミはこの近辺でいますので、
ご飯を持って遊びに来てね。
詳しくは以前、当ブログでも紹介していますので、ご参考に。

関西犬聞録第二話

続く。

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