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長柄の人柱へ行ったアルヨ

社長刑事みいたろうや。

淀川区の名所を紹介する、
みいたろうの淀川名所紹介の時間がやってまいりました。



長柄の人柱

場所がわかりづらいので、
地元の人も存在は知っていても、どこにあるのかよく知らない人が多いんや。
でんでんかのんも知らんかったので、いろいろと場所を尋ねたんや。

そしたら目印があるらしいんで、それに沿っていけばいいと教えてもろたで。
それが道路にうめこのれた、写真の模様や。
これをたどっていけば、つくらしいねんけどな~。
ちなみに最寄駅は、地下鉄御堂筋線の「東三国」かJR「東淀川」やで。


付近にはこのように道しるべもあるので、参考にしいや



長柄の人柱碑

長柄の人柱の物語とは

時は推古天皇の時代(&21年頃)
難波の入り江は大小多くの島や中洲があったんや。
それを大小の橋が道をつないでいたという状況やったんや。
そのため、大雨が降れば川が氾濫すると言う交通の難所で、
大雨が降れば橋が流されるありさまやったんや。
そんな中で、淀川に橋を架けることが、歴代の為政者の最大の課題やったんや。
しかし、架橋工事が完成寸前で風水害に見舞われて、
橋杭などが流されてしまうことが何度かあったんや。

この時に垂水 (現吹田市垂水町)の長者・巌氏が
「架橋を成功させるには人柱が必要。袴につぎの当たった者を人柱に」
と役人に進言したんや。
袴につぎがある人というのは、巌氏本人やったんや。
彼は自ら人柱になったというんや。すごいのお。

河内禁野の徳永氏に嫁いでいた巌氏の娘・照日は父の死を悲しみ、
物言わぬ人となってしまったんや。
ついに離婚されることとなり、 夫が実家まで送ってきたが、
その途中1羽の雉の鳴く声が聞こえ、夫は弓矢をとり、雉を射止めそうや。
そのとき照日の口より出た言葉が、
「物言じ父は長柄の 橋柱 鳴ずば雉子も 射られざらまし」やったそうや。
夫は妻の心の内を知り、雉を手厚く葬り、
妻を伴って河内に引き返したといわれてるで~。





大願寺本堂


人柱となった巌氏の菩提を弔うために建立したとの伝承があるねん。

後一条天皇が1019年長柄橋の杭を用いて仏師定朝に彫らせたと伝えられる、
地蔵菩薩像や橋杭の残木など、人柱にかかわる遺物が多く伝わっているお寺やで。



現在の長柄橋

現在の長柄橋はこんな最新式の格好ええ橋になっているで~。
近くには、毛馬の閘門もあるで~。
現在の長柄橋から、長柄の人柱はずいぶんと離れた場所にあるので、
淀川の流れが今とはずいぶん違うから、元の長柄橋というのが、
どこにあったのかよく分かっていないそうや。

淀川区にはこんな伝承があるんやで~。

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